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漢字の起原(エクスプローラ探検家)
何気なく使っている漢字ですが、その生い立ちをたどると思いがけない発見があります

   
発發 旧字体の發は弓とその射る時の音を表すとからなる。弓を射る意。ひいて出る、始める。 嚆矢ということばがありますね。こちらは開戦の合図ですから、物騒です。
両足を踏ん張るさまを示す発頭(左右の足跡のかたち)と、音を表し同時にのぼる意(昇シヨウ)を示す豆(トウ)からなる。高いところにのぼる
どんぐりの実のかたち。その実の白いところから白の意となる。
益u 皿とそこからあふれる水からなる。あふれる、ますの意となる。
盗盜 旧字の盜は皿の上に、うらやんでよだれをたらす(セン、トウは変わった音)からなる。皿の中の食物をうらやんで、よだれをたらす、ひいて盗む。当用漢字は盜の誤字。 人のもちものに手をだしてはいけません。とはいえこれ見よがしに、みせびらかされるのも罪なはなしですね。かくして耐え忍ぶのが私人生、、
皿(または血)と、音をあらわし同時に受け食う意(享キョウ)をしめす明(メイ)とからなり、もと神に供えたいけにえの血をうけてすすりあい、約束を固める。ひいてちかうを意味する。
水をたたえたたらい(皿)と、大きく目をみひらいた図(臣)と、うつむいている人からなる。
人がみずかがみを見る。ひいてかんがみる意。
鏡にうつった姿を自分と認識する直感(?、多分学習の成果でしょう)は人間の特性といえるかも知れない。ここでまた独善的な人間の定義: 人とは鑑を見つめてため息をつくかなしい生き物。また顰蹙を買うのを畏れつつ、独り言。、人を写す鑑のような存在であるドストエフスキーの白痴の主人公は鏡の中の自分がどう映っただろうか?と不図思いました。はたして彼は鏡を見るだろうか?何も映らなかったりして、、余りに透明だから。(ナン茶って)
手と目からなる。目の上に手をかざして遠くを見る。
目と音を表し同時に止まる意を示す(=之シ) 少は変わった形、セイは変わった音)とからなる。 目をとじてじっと見る。論語の中に吾日に三省するとあります。日に三回反省すると聖人になれるかも。年をとると反省しなくなる、のは本当。つまり日に三度省くと読む、反省!
真眞 頭の上は人の字です。下は首の字をさかさまにしたもの。顛(テンさかさ)の原字。音を借りてまことの意(=信シン)にもちいる。
矢じりと羽の形
口と、音を表し同時に並べる意(陳チン)を示す矢(シ)チは変わった音)からなる。べらべらしゃべる。知る意につかうのは識(シ)の借用。 ということは、べらべらしゃべるのは識者ということではなさそう。普通能弁にべらべらしゃべるのは隠し事がある場合が多い(政府喚問とか)。夫婦間で多弁になるのは要注意。わたしは身に覚えが無い。
禿が正しい字形。音をあらわし同時に長い意(脩シュウ)を示す几シュウ(誤って乃と書かれた)からなる。稲の穂(禾カ)が長くのび出る意。ひいてぬきんでる、すぐれる。 最近とみに頭髪が消滅して、いわゆる禿てきまして、人前にでるのを引け目に感じるこのごろですが、この文字の語源を知って、禿げと思わずに頭角がぬきんでようとしている証(兆し)だぞぉーッとおもいなおすことにする。漢字の起源を探検してはじめてためになった。
人二人をあらわす脚が四本の図。言の字を二つ並べた上の部分とからなる。ふたりが言い争う。ひいて競り合う。 前に出現したの字も言を二つ並べていますね。参照してください。デモクラシー、とか議論の原型みたいなイメージがありますね。
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