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漢字の起原(エクスプローラ探検家)
何気なく使っている漢字ですが、その生い立ちをたどると思いがけない発見があります

   
旗をかたちどる方(旗)   と多くの人をいみする とからなる。旗の下に集まる多くの人、軍隊を意味する。軍隊は移動するので、後に旅となった。
太陽を意味する象形文字
太陽が水平線上に現れた。 ヨーロッパ、アメリカ西海岸では、日没をいみする(?)しない、しない。
匙(匕)と口(後に日と書き誤った)からなり、匙にとって口になめる、ひいてうまい。
とかげのかたちと、ひかるさまをあらわした彡(影)とからなる。とかげは皮膚の色がいろいろかわることから、かわる、変えるの意。音をかりて、やすらか、やさしいの意に用いる。
桑の新芽が出たかたちと、日からなる。 桑は古くは、繧ニも書きますね。十(草の芽)が三つと木です。
禾(いね)と火(カ、キの音、後にシュウと読むようになった)からなる形声文字。稲刈りの時期、秋とする。 わたしは中国語は頓珍漢ですから、よくわからないが、文字の大部分は、意味を表す記号(象形文字)と音を借りてくる記号の合成(形声文字)から成り立ちます。当時の中国の発音に発生の源があるので、われわれ日本人には即座に連想がはたらきません。
人がお面をかぶって舞いを舞っている形をあらわす。元舞の名。音をかりて四季の夏の意に用いる。
氷あるいは寒気を表す冫(ニスイ)と集まる意味の夂(シュウ聚のちにトウという音になる)からなる。寒気のつよくなるふゆとする。
牧にょうは手をかたど又と、小木をあらわす からなる。小木で鞭打つ意味をあらわす。
鞭をあらわす と鬼ヲ意味する(已、キ(鬼)の音)からなる形声文字。鬼を鞭でおいはらう。鬼追いをして新しい年をむかえる、ひいて改まるとなる。
鞭と、打ってまっすぐ(正、セイ)にする。
と音を表し同時にならう(効、コウ)意味の からなる。 文字を遡る限り、教育の原点は体罰にあるようです。文部省もこの辺を根拠に熱血先生を応援したらどうでしょう。あなたは体罰応援派、純情人道派?性悪論と性善論の分かれるところですが、どちらも子供の成長を信じる愛が根底になるわけでがしょう。愛とは前ページの語源をみると贈り物でしたね。でも教育熱心に付け込んだ賄賂のことを正当化しているのではありませんよ。
強制をいみする(むち) と古(コ)からなる。ひとに仕事をさせる。(故意)。古い意味にも使う(物故)
小木で牛を打つ。
胸のところで襟が交わっている。襟元が美しい、ひいて綾、模様の意となり。線が交差して作る文字、から文章の意味に用いられた。 連想ゲームですな。
ほこづくり。棒の先に小枝をくくり、下の/は握りの部分。武器を表す。横の線は取り付けた武器(おの、まさかり)を表す。
ほこづくりと、ヨの部分刀のつきささる様を示す。人を殺す意を表す。ギョギョ(?)こわーっ、、音を借りて己(おのれ)の意味にもちいる。 いわれてみると、心当たりがある。夢の中で拳銃を撃つまくったことがある。現実の実行犯ではないが、あれってキット我(自我)の悲鳴(発現)かもしれない。殺される前に殺せ!
自問:この場合、私は加害者なのか、被害者なのか?結構怖い設問ですね。我(ガ)って本当にこわい。
西洋の思想の根底にあるものは自分探しの彷徨、東洋の諦観の究極は己からの解脱。今突然気がつきましたが、人間と他の動物との相違点は、自らすすんで苦行に身を投ずることではないでしょうか?(結構人間て苦の意識が必要なのかもしれない?)
ここで 人間の定義とは: ゲームをする生き物。(ゲームってなにかわざわざ苦しい状況を創りだしては、それを楽しんでいませんか?ここには何か巧妙なすりかえがあるような気がする、人生の秘密があるかもょ。)。動物は決してゲームをしませんょネ。人間てばっかじゃないって思うときがあるもんですョね。ね、ネ、ネ
動物の生き様のほうが神々しく見えるときがある。
戉(エツ、まさかり 三角がまさかりの刃の部分)と同時に打つ意の丁(テイ > セイ)からなる。 おのでうち平らげる、ひいて成し遂げる。
道を行く意の とひざまづく と音を表す午(ゴ)からなる。ひざまづいて貴人の通行を迎える。
食べ物を山と積まれた器の前に人がひざまづいている。食につく意から、ひいてつく(即席)の意になる。密着する意から転じてすなわちとなる。
左はご馳走が山と積まれている図。右は人が横(臥す)になっている。十分に食べ終わった意、ひいて(すでに)終わるとなる。
水面に平たく浮かぶ水草の図。
左と 右とからなり、左右の手を意味する。原字は伸(シン)ばすの意味を示す彡(シン)がついています。両手をのばしひろげた長さ。一ひろ。
手を示す寸と、道を行く意とからなり、手を引いて行く。
手を示す寸と糸巻きからなる。子供が糸巻きで遊んで離さないところから、ひとりじめ、もっぱらの意となった。 ほほえましい風景ですが、そのまま大人になってもこの習性が変わらないところが、結構胸に迫る厄介な代物です。
酒樽と、両手(現在は片手、寸になっている)とからなる。手に酒樽を持って神に捧げる、からたっとい、たっとぶとなる。
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